にんげんマネジメント

マイノリティの闘いかた

恋愛と結婚の違い(斉藤由貴さんの不倫報道をみて感じたこと)

斉藤由貴さんの不倫疑惑に対する釈明会見を見てると、どこか同情するところがある。

 

当然ながら、不倫は世間的に悪い(違法な)ことである。

だから不倫に手を染める人からは「悪いことだと理解したうえで人の目を盗んでこっそり楽しむ」というどこかしたたかなニオイが感じられるものだが、彼女からはそれが感じられない。

反省していると言うものの、何が悪かったのか自分でもよく整理できていないように見える。

 

おそらく、彼女にとって恋愛と結婚は恐ろしく別モノなのだと思う。

 

いやいや、斉藤由貴さんだけでなく、みんな恋愛と結婚は別モノと考えてるYO!とツッコまれそうだが、ここで私が注目してほしいのは「別モノ」という部分でなく「恐ろしく」という部分だ。

 

モノガミーが常識となっているためか、少なくとも今の日本では恋愛と結婚は切り離せない。というより切り離してもらえない。

世間の認識として結婚のインプットが「お見合い」と「恋愛」の2択なのがその証拠だ。これは言い換えると、第3者が介入する「お見合い」という例外を除けば、両者の合意によって結婚する方法が「恋愛」しかないことになる。

つまり、恋愛と結婚が根本的に別モノと考えている人なんてほとんどいないはずなのである。

 

一般の人が口にする「恋愛と結婚は別モノ」は、せいぜいヒヨコとニワトリの違いだ。

あんたの恋愛(ヒヨコ)はまだまだ結婚(ニワトリ)というレベルまでトランスフォームしていないのよ、という具合に。

 

私がいう恐ろしく別モノとは、ヒヨコとコンクリートくらいのレベルの別モノである。

ヒヨコからみて、もう同じ種でもなければそもそも鳥でもない、というかもはや生き物ですらない。それくらいの違い。

 

この例えをさらに引っ張ると、ニワトリ(結婚)にするためにヒヨコ(恋愛)を育てた普通の人は、一羽のヒヨコをニワトリにまで育てきった後にまた別のヒヨコをイチから育てるなんてことは基本的にしない。

しかし、ヒヨコ(恋愛)と一切関係ないところで型枠組んで打設して養生してコンクリート(結婚)を築いた人は、ヒヨコを育てる楽しみを完結させているわけではないので、興味さえあれば当然引き続きヒヨコを育て続ける。ニワトリにすればゲームクリアというルールもないので、結婚(コンクリート)と関係のないところで延々と恋愛(ヒヨコ育て)を欲してしまう可能性があるのだ。

 

夫婦がお互いがそんな人種ならまだ良いが、ほとんどの場合お相手は大多数のニワトリタイプ(前者)だから、結婚後に自分だけヒヨコ育てを続けることなんて許してもらえない。

斉藤由貴さんが私のいうコンクリタイプ(後者)かどうかはわからないが、一般とは異なる恋愛観によって苦しんでいることは間違いないと思う。

 

ただ、だからといって私は不倫を容認しているわけではないことを強調しておきたい。

コンクリタイプのようなマイノリティはその苦しみを理解してもらいにくいし、大多数のニワトリタイプに比べて結婚生活を維持するのは難しいが、結婚というスキームを自ら選んだ以上、ルール違反は許されない。

結婚なんていわばマジョリティのための制度なのだから、マイノリティが導入するなら慎重に吟味しなくてはならないと私は思っている。

 

ちなみに私はというと、恋愛と結婚を恐ろしく別モノと考えているので、現在未婚だが、今後結婚するとしたらコンクリタイプになるだろう。

結婚したらしたで苦労する、結婚しないならしないで周囲からの偏見に苦労する。

結婚という制度がもっとマイノリティに不利でない内容に変わるか、結婚を選択しないことがもっと当たり前になるか、のどちらかを望むばかりである。