【ネタバレあり】ドラゴンボール超劇場版ブロリーを観た
昨日12/14公開となったドラゴンボール超劇場版「ブロリー」を観てきた。
劇場版が公開されると一部のファンからは「自分の思ってた◯◯じゃない」とかの批判がつきものだが、私はもはやファンを通り越してマニアなので、劇場版の公開はいわば「祭」であり、どんな出来であろうと楽しめるし、当然今回もしっかり楽しめた。
そのうえで率直な印象を言うと以下の4点である。
①バトルにかなり特化している(前々作「神と神」や前作「復活のF」と比較して)
②それなのにバトルの結末はかなりあっけない
③過去の設定との矛盾が多い
④ストーリー構成はかなり雑
予想通りすでにネットでも賛否両論が起きており、賛の理由のほとんどは①によるもので、否の理由はほとんどが③、一部が④といったところである。
それぞれの印象に対する私の考えをまとめるとこうだ。
①→このコンセプトはとても良かったし、ニーズにもマッチしてたと思う。
②→それだけに最後にもうひとつ特大の盛り上がりが欲しかった。
③→これは劇場版ではある程度仕方がないが原作にも矛盾する部分はちょっと残念。
④→これも劇場版ではある程度仕方がないが、ならせめてバトル以外はコンパクトにして②のとおりバトルに最後の華を持たせて欲しかった。
以下でくわしく述べていく。
①バトルにかなり特化している
これについては本作を観たほぼ全員が満足しているだろう。
ドラゴンボールはバトルだけじゃない!というファンも多いと思うが、迫力のある音と映像が楽しめる場で約100分という条件ならやはり欲しいのはバトルだ。
例えば前々作「神と神」では、バトルシーンがかなりあったが一極集中ではなく割と全編にちりばめられていて、バトルに関しては腹八分目だった印象がある。
ロックバンドのライブでも似たことが言えるが、1曲1曲のパフォーマンスがどんなに素晴らしくても1曲ごとにMCをはさんでいてはその度に観客の興奮がクールダウンして盛り上がりが蓄積していかない。
クライマックスに向かう終盤では、ハイテンポな曲を間を空けることなく矢継ぎ早にたたみ掛けることで観客のボルテージが渦を巻いて上昇していくのだ。
そういう意味では、今作のバトルシーンのたたみ掛け具合は素晴らしかった。
ベジータ→悟空→ベジータ&悟空→フリーザ→ゴジータ、とほぼ途切れることなくブロリーとのバトルが繰り広げられていく。
闘いの中で学びながらブロリーがパワーアップしていくのに伴って、こちらの興奮も冷める暇なく高まり、どんどん映画に引き込まれて行った。
②それなのにバトルの結末はかなりああっけない
…である。
ここまで盛り上がってきただけに最後にもうひと山あるか、と思いきやチライの気遣いによりブロリーは元の星へ戻され、バトルは終了した。
ブロリーに対するチライの友情は確かに胸にくるものがあるが、悪者でもないブロリーをゴジータが殺すつもりだったとは思えないので、元の星へ飛ばす意味はあまりなく、クライマックスの要素としてはかなり弱いのである。
個人的には、ゴジータとの決着をつけるために元の星へ飛ばす願いをブロリーは拒否する(昔、悟空を地球へ戻す願いについては悟空本人がポルンガに拒否できた)が、初めて芽生えた友情によってブロリーは正気を取り戻すとともに力をコントロールできる最強の戦士になり、ゴジータと最後の頂上バトルを繰り広げる、という流れとかアツいと思うんですがどうでしょう。
③過去の設定との矛盾が多い
昔のブロリーとは別の設定、とかは映画の性格上全然ありだと思うのだけど(もともと映画上のキャラだし)、原作との矛盾がちらほらあるのはさすがにちょっと、、と思った。
ポッドで飛ばされたカカロットは確実に尾の生えた「赤ん坊」ではないし、そもそもあんな少年程度まで成長していたら孫悟飯は別に保護しなかったのではないか。(これについては、予告編の映像やドラゴンボールマンチョコのシールを見たときから疑問に思っていた。)
また、惑星ベジータが消滅したときにベジータ、ナッパ、ラディッツ以外のサイヤ人があんなにいっぱい残っているなら、その後ラディッツはわざわざカカロットを求めて地球に来たりしないと思う。
惑星ベジータ消滅にまつわる設定全般が、バーダックが活躍するTVスペシャル「たったひとりの最終決戦」からガラッと変わってしまったのはブロリーの設定変更と同様に仕方ないとして、断片的にTVスペシャルのシーンを盛り込んでチグハグになっていたのは非常に残念だ。
特に、フリーザがいよいよ惑星ベジータにデスボールをキメようとしているときに、いきなり傷だらけのバーダックが抵抗しにくるのはかなり不自然だった。
あそこだけでも原作に寄せようとしたのかもしれないが、あの設定ではなぜバーダックが一人なのか、なぜ傷だらけなのかが全くわからない。
ちなみにこの「たったひとりの最終決戦」は悟空の父バーダックを中心とした、悟空が生まれてから原作のドラゴンボールの物語が始まるまでの話(いわゆるエピソードゼロ的なもの)である。
各劇場版と同様にオリジナルストーリーではあるが、ストーリーが驚くほど緻密に構成されており、原作との矛盾点もない(あるとすれば宇宙空間で生きられないはずのサイヤ人であるバーダックが宇宙に飛び出していったことくらい)。そして最後は必ず泣かされる。このエピソードをふまえて原作を読むとさらに味が増す、といえるくらいマニアにも非常に評価の高い作品である。
さらに強烈なのは、原作で悟空とフリーザが初めて対峙したとき、フリーザがバーダックを回想するシーンがあるが、これがジャンプで掲載されたのは「たったひとりの最終決戦」がオンエアされた後である、という事実だ。
劇場版を含めてオリジナルストーリーは原作の要素をもとに作られるが、逆にオリジナルストーリーが原作に影響することは極めて珍しい。しかしこの「たったひとりの最終決戦」はその原作への逆輸入を達成した。これはつまり、原作者の鳥山明もこのストーリーが原作に近い位置づけであると認めている、と言える。
④ストーリー構成はかなり雑
上で述べたように「たったひとりの最終決戦」が秀逸な出来だったぶん、本作の惑星ベジータ消滅の部分はかなりアラが目立ってしまったと言える。
あとは観た人の90%は感じたであろう、パラガスの扱いの雑さ。
パラガスがいつのまにか死んでいたことがなぜそれほどブロリーを刺激したのか全くわからない。
悟空の流れ弾がチライに当たって死んでしまった、とかならわかるのだけど。
と、まあ②〜④ではいろいろケチもつけたけど、何といっても今作は①がズバ抜けてるし、細かいツッコミを入れることすら楽しいので、結局のところ最高!である。
次回作が1年後になるか2年後になるかわからないけど、またワクワクしながら待つことにする。